2011年07月25日

済州島に行って来ました

徳田知恵

今年3月の終わり頃、スタディツアーに参加し韓国の済州(チェジュ)島を初めて訪れた。飛行機に乗ったと思ったらすぐ着いてしまう済州島は、世界自然遺産に登録されているとても美しい島だ。東洋のハワイとも言われ、韓流ドラマのロケ地としても有名らしい。
スタディツアーなので、観光地にはあまり行かなかったが、それでも島が美しいのはよくわかった。緑生い茂るなだらかな丘が遠くまで連なっており、あちらこちらに黄色い菜の花が咲き乱れ、島の強い風に揺れていた。
そんな風景の中に、ふと気づくと、ぷっくりと地面が盛り上がっている小さな丘のようなものがいくつか目に入る。正面に向かうと、実はコンクリートで作られた丘で、中はがらんどう。これは実は日本軍の飛行機をしまっていた格納庫。また、日本でも流行った韓流ドラマ『宮廷女官チャングムの誓い』の1シーンが撮影されたという海岸の洞窟も、実は日本軍の人間魚雷の格納庫だったということだ。
第二次世界大戦中、本土防衛の要として7万人の日本兵が送り込まれた済州島には、ほかにも飛行場の管制塔跡や秘密基地の洞窟など、知らなければ簡単に見落としてしまう戦跡が、あちらこちらに残っている。

日本軍の戦跡以外にも、この島には知らなければ簡単に通り過ぎてしまう事実がある。済州島は虐殺が行われた地だ。日本の植民地支配から解放された後、朝鮮戦争勃発前の1948年4月3日、朝鮮半島の分断に反対する島民が警察署を襲撃し、それをきっかけに軍や警察による激しい弾圧が始まった。島民の抵抗運動を理由に米軍政は「アカの島」とレッテルを貼り、朝鮮本土から軍・警察・右翼青年団などの「討伐隊」を招き入れた。彼らによる島民の無差別虐殺は朝鮮戦争の終結まで続き、3万人近くが犠牲となったが、この事件は長い間ずっとタブーとされ、公の場で語られることはなかった。

この事件を研究している4.3(ヨンサン)研究所の隣に作られている4.3事件のメモリアル公園に、土が1㎡ほどこんもり盛り上げられた場所があった。これは、まさにこの場所で殺された子どものお墓だそうだ。その子どものおじいさんが武装隊に参加していたため、遺体を埋葬しようとすれば、自分が「アカ」の仲間とみなされてしまう。そう人々が恐れ、しばらくそのまま放置されたそうだ。ほかにも、家族・親戚が全員殺されてしまい埋葬してくれる者が誰もおらず、そのまま放置された状態であった子どものお墓が―お墓といっても遺体の上に土をかぶせ、そのぐるりを石で囲っただけものだが―公園内に6、7カ所あった。
4.3研究所の所長によると、「事件の解明のためにこれまでたくさんのサバイバーの方々にお話を聞いたが、女性の性暴力被害の話は、話すのをためらうほどひどいものだった」という。
4.3事件は盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領が2003年にやっと国の責任を認めたばかりだが、李明博(イ・ミョンバク)大統領に代わってから、4.3事件犠牲者の認定審査は滞っているという。済州の人々の悲しみや痛み、恨の声がすくい上げられるのはいつの日だろう。(2010年7月号より)


タグ :済州島戦跡

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Posted by 横浜YWCA at 22:15 │平和