てぃーだブログ › 横浜YWCAニュースレターよりイベントレポートやインタビューをお届け! 横浜YWCAのみんなの活動をちょっとのぞいてみよう。

【PR】

  

Posted by TI-DA at

2013年03月06日

「暴力を受けた女性のためのサポーター養成講座Ⅰ」

 暴力を受けた女性のための支援事業「ゆう」では、暴力を受けた女性のための女性相談やカウンセリング、また女性のための離婚講座やモラル・ハラスメントについての講座、一般向けの落語会などを行っています。一人ひとりの女性がその人らしく、安心・安全・健康に生きていけるようにと願い、活動しています。そして、地域の中で当事者、支援者がともに育つ社会をつくり、女性が生きやすい社会、ひいてはすべての人にとって生きやすい社会を目指しています。
 事業開始から3年が経ち、今回はじめて「暴力を受けた女性のためのサポーター養成講座(以下、養成講座)Ⅰ」を、2012年11月17日から7回にわたり、開催しました。

   養成講座の目的は?

 DV(配偶者・交際相手などからの暴力)の多くは、家庭や親密な関係という私的な場で起こり、他の人からは気づかれにくく、見つかりにくいため、長期にわたり繰り返し行われ、DVを受けた人に恐怖や不安を与え続けます。こころとからだに深い傷を負った人が、自分の力だけで様々な分断された支援策へたどりつくことは、とても困難です。
 「ゆう」では、このような孤立しがちな暴力を受けた女性を取り巻く社会的な問題について、地域社会の中で関心を高め、理解を深めるために、そして、暴力・支配の存在に気づき、被害者に寄り添い、支えたいという思いを持つ人が一人でも増えるように、養成講座Ⅰを開催しました。
 また来年度は、再び養成講座Ⅰを開催するとともに、養成講座Ⅰの修了者を対象に、現場で必要とされる、より具体的で専門的な支援を学ぶ養成講座Ⅱも開催する予定です。

  養成講座Ⅰの内容 

 第1回は、プレ講座として、養成講座受講者以外にもオープンにし、神奈川新聞の記者を含め15人の参加がありました。長年にわたり婦人保護施設で困難な状況に置かれた女性の支援に携わってこられた講師から、一人ひとりの女性が抱える問題はマニュアルでは対応できないこと、一瞬一瞬が現場であることを聞き、支援に対する姿勢に多くを学ぶことができました。参加者からのアンケートでは、「婦人保護施設での女性たちの困難な状況や、支援の具体的な話が聞けて良かった」、「想像を絶する実態を知り、社会の構造から変えていく必要を感じた」などの感想がありました。
 2回目以降の講師は、すべて「ゆう」のメンバーが担いました。養成講座受講者は3名で人数としては少なかったのですが、アットホームな中でゆっくりとしたペースで進めることができました。
第3回は、DVの定義を確認共有することから、実際の被害を受けて法律をどのように使っていくかという内容を、過去のデータと共に学びました。
 離婚講座を受けてからの関係機関見学では、横浜家裁、中区役所、横浜地方裁判所、横浜弁護士会、法テラス神奈川を訪問し、実際に必要書類(離婚調停申立書、保護命令申立書)を受け取ってみる体験をしました。この関係機関見学は、他の養成講座などでは見られない内容で、参加者から実地の体験としては、とても大きなものだったとの感想が寄せられました。
 最終回の気づきのワークショップでは、養成講座を受けてみた感想だけにとどまらず、自分を見つめなおすきっかけとなった参加者もいました。

   今後に向けて


 今回は受講者が3名でしたが、これからも継続して、誰もが生きやすい社会を作るという目的のために、暴力と支配の存在に気づくことや、またどうして暴力が起こるのか、支援のあり方など、地域に発信し続けていきます。
 またそのためにも、これからも養成講座を実施するにあたり、「ゆう」の独自性や広報の仕方などにも、より一層の工夫を重ねていきたいと考えています。
   
                                                                 文責:女性支援事業「ゆう」担当者

   受講者の声

    
 私でも何か出来る事はないかなとの思いから講習会に参加しました。7回の講座は、DVとは?の初歩から、法的な基礎、保護施設の方の壮絶な話、自分がその立場になり裁判所で保護命令申立書を貰ってくるなど、多岐にわたる内容でした。講座を受けて即サポート出来る程簡単なものではなかったですが、身体的暴力だけではない事なども知り、今まで漠然としていた事が、もしかしたらあの人もDVでは?と感じられるようになりました。支配構造のDVを無くすために、もっとたくさんの人にDVの事を知ってもらいたい、この講座をたくさんの人に受けてもらいたいと思いました。サポート出来るようになるために次のステップの講座が開催される事を期待しています。
  

Posted by 横浜YWCA at 14:55Comments(0)女性への暴力

2012年10月02日

インタビュー:「憲法審査会」ってなあに?

まず、憲法審査会に行ってみての感想や印象に残った点を教えてください。

■I さん 私はこの間の5 月に初めて行ってみたのですが、議員の紹介状がないと傍聴できないということを知らなくて、とても驚きました。他にも、録音はNG でしたし、傍聴券チェックが2 回、ロッカーに貴重品を預けて、尚且つ金属探知機と持ち物検査…。議員の紹介状が必要な時点で、国民全員に与えられた権利ではないと感じましたし、ここまでいろいろあると、国民を信頼していないのだろうなという印象を受けました。

■ N さん 傍聴席に行くまでに、迷路のような通路を歩くのですけど、道順を外れると守衛さんにすぐ連れ戻されましたね。帰りも同じでした。あと、毎回思うことは、審査会の開催の案内がギリギリなことですね。早くて大体1 週間前、前日のこともあって、一般市民に来てほしくないのかなと思っちゃいます。


審査会の進行方法や議論内容はどのようなものでしたか?

■ I さん 私たちが参加したのは5 月31 日に行われた審査会だったのですが、内容は“9 条”のものでした。傍聴者はざっと100 名はいたかと思います。予想よりいっぱい来たみたいで、立ち見の人もたくさんいたし、資料の増し刷りもしていました。
 流れとしてはまず、官僚の企画部長から15 分間、なぜ憲法審査会を行うのか、そして論点をまとめた資料の説明、各党議員の意見表明が7分ずつ、そのあとは、議員からの意見を自由に話すといった感じです。
  議員の意見表明や自由討論を聞いていると、法律を変えれば済むようなことなのに、わざわざ憲法を改正しようとしているんですよ。あと、議論の内容を聞いていて思ったのは、憲法は権力を縛るもの・法律は国民を縛るものじゃないですか。縛られている側の政治家が、憲法を改正したいというのはおかしいし、自らを解放したいと言ってるようなものですよね。
 憲法のあり方を考えれば、議員がどうこう言うのではなく、国民が国を統治する権力をどうコントロールしたいのかを本来ならば議論すべきものであって、だからこそ憲法審査会っていうのは国民が考えるべきもの。議員が考えるものではないんですよ。

■ N さん 今の現状と憲法は合っていないから憲法の方を変えちゃおうではなく、憲法はその
達成を目指していくものなので、そもそも発想がまちがっていますよね。達成可能なものなら、わざわざ憲法に示さなくていいのに…。今の現実と憲法が違うのは当然であって、現実を前提に憲法を変えるのは本末転倒ですよね。時代に
合ってないのではなくて、権力側は憲法の理念を実現する努力もしてこなかったし、それができていないから時代のせいにしているんです。
 よく、アメリカが作った憲法だから日本人の主権で作らなきゃだめだとか聞きますけど、今改正をしようとしているのにも、アメリカからの圧力がかかっています。改憲を推し進めている政治家に、そこのところを詳しく聞いてみたいですね。


今回の審査会で話し合われたことは、今後どう取り扱われていくのですか?

■ N さん 事前にいただいていたこの質問を見て、はっとして調べてみたのですけど、審査会のホームページを見ただけでは分かりませんでした。審査会の目的は、「憲法の広範かつ総合的な調査」と書かれているのに、それすらやっているのか疑問です。議員の憲法理解や調査の質のレベルにはかなりの格差がありますし、とくに新しい党は、党の代表として審査会へ議員を送りだしているにも拘らず、議員の意見は世論や与党に日和見的。党の理念がなかなか見えません。

■ I さん おそらく国民投票法で憲法審査会が規定されているから開催しているという既成事実作りという感じですね。開催日時も、平日の日中のうえに、開催日程はギリギリに発表。国民に知ってもらいたいなら、もっと働いている人にも来やすい日時を設定しますよね。


発言の機会もない審査会にあえて傍聴する意味はなんですか?

■ I さん 今回の審査会のように、傍聴者の人数が多いと、それだけ場内の緊張感が増します。議員の方に、国民がこんなに関心があるんだよということ、また、ちゃんと見てますよというアピールになると思います。

■ N さん 本当にそういうことが大事で、傍聴している私たちは意見を言うことができないけれど、勝手には決めさせませんよっていうことが伝わると思います。それに、審査会で飛び交う言葉を聞いていても分からないことは多少ありますが、例えば“軍隊”という単語が聞こえたら、危なっかしいと感じて、そこの部分は配布資料をちゃんと読んでみなければという気に
なりますよね。そうやっていくと、憲法は自分の生活とかけ離れたものではないということが分かり、意識が変わってきたと思います。


傍聴して、若い人に伝えたいことはなんですか?

■ N さん もし、憲法が改正されて一番影響を受けるのは、今これを議論している人ではなく、若い人たちなのです。それなのに、その若い人たちがいない場で話し合いが行われています。なので、特に若い層の方に知ってもらうために、ツイッターなどで審査会に参加した人の感想を載せるなどして、広めていければいいですよね。知り合いの高校や大学の先生がいれば、クラスで傍聴に来るように声をかけるのはいい
アイディアだと思います。

■ I さん 憲法というのは自分の生活とかけ離れたものではなく、もし改悪されてしまったら、自分がこう生きたいと思う道を阻むものにもなりかねないものであり、自分には関係ないというスタンスではいられなくなります。だからこそ、若者には今のこの状況を知っていて欲しいですし、そのためにも憲法審査会に行ってみて欲しいですね。政府側も、あえて難しい表現を
使ったりしていると思うので、そのための勉強会を開くなど、いろいろな形で発信していければと思います。



*NさんとI さんは30 代のYWCAの会員です。
 インタビューアー:清水・平澤(広報委員)



           ***憲法審査会***
 2007 年の日本国憲法の改正手続に関する法律(国民投票法) の成立
を受けて、新たに衆参両院に設置された機関。 両院にはこれまで、憲法
一般について「広範かつ総合的な調査」を行う「憲法調査会」、次いで
国民投票法を議論する「憲法調査特別委員会」が設けられてきた。 憲
法審査会はこの2 つを引き継ぐ機関であり、初めて「憲法改正原案、憲
法改正の発議」を審議できると規定された、憲法改正を具体的に進めて
いく場と位置づけられる。(出典: 知恵蔵2012)
  

Posted by 横浜YWCA at 09:21Comments(0)その他

2012年07月01日

40年目の現実

金井 創 [日本キリスト教団 佐敷教会牧師]



 私は2006年に現在の教会に赴任し沖縄県民になりました。今年は沖縄の施政権が日本に返還されたいわゆる本土復帰から40年目にあたりますが、私はそのわずか5年余りをこの地で過ごしたにすぎません。復帰40年を語る資格のない者だと自覚しています。ただ、着任早々、普天間基地代替施設建設に対する阻止行動に深く関わることになったため、沖縄における基地問題に直面する日々を通して考えさせられたことはありますので、その点に関して体験を踏まえて述べたいと思います。


代替施設という欺瞞

 1996年に当時の政府は、沖縄中部・宜野湾市の真ん中にある「世界一危険な」普天間基地を米国から返還させると発表しました。しかし、それには沖縄県内のどこかに代わりの基地を作ることが条件にされました。日本が戦後独立を取り戻したサンフランシスコ講和条約以後、内地の米軍基地は着実に減ってきました。ところが沖縄の基地は1972年の復帰後も減少することはありませんでした。日本における在日米軍施設の74%が国土面積比0.6%である沖縄に集中しているのです。
 以前から政府は沖縄の基地負担軽減を口にします。けれども、この普天間問題に典型的に現れているように負担は何も軽くなりません。それどころか、基地機能ははるかに強化され同時に危険もさらに増します。
 普天間基地は米国海兵隊のヘリコプターなどが配備された基地ですが、そこに実戦部隊はいません。弾薬を搭載する時には嘉手納基地に飛び、そこで作業しなければなりません。こうした普天間基地の代わりに北部東海岸の辺野古に計画されている基地は、2本の滑走路を備え、海兵隊基地のキャンプ・シュワブと一体化します。ここには実戦部隊が訓練のために配置されていて、今でも日常的に住宅地から数キロしか離れていない場所で実弾射撃訓練をし、海では兵士や水陸両用装甲車による上陸訓練が行われています。ここに滑走路が作られることで空と陸が結びつきます。さらに辺野古には弾薬庫もあり、直接実弾をこの場所で搭載できます。そして埋め立てによって建設される滑走路の端には軍艦が横付けできる岸壁も作られます。こうして海も一体化した基地となり、これで普天間の代わり(代替施設)とは言葉自体が欺瞞に満ちています。これは数倍に機能が強化された新基地なのです。政府は相変わらず代替施設と称していますが、沖縄では県民の80%以上が「新基地」建設反対を訴えています。


命をかけた阻止行動


 この新基地建設が実施に向けて準備作業に入った2004年から、辺野古では陸上、海上での阻止行動が始まりました。私も2007年からの海上作業に対して阻止船の船長として、カヌー隊として、非暴力による直接阻止行動に参加してきました。海上の闘いは激しいものでした。政府の作業船にカヌーでしがみつく、あるいは飛び込んで生身でしがみつく、海中に潜って機材にしがみつく、これが非暴力で阻止する方法でした。こうした海上行動に参加した人たちの多くは元々泳げない人でした。それどころか水が怖いという人も何人もいました。この人たちはプールに通ったりしながら何とか恐怖心を乗り越えて海に出ていたのです。中には今でも当時の写真などを見ると胸が締め付けられ、夜眠れなくなるという人もいるぐらいです。ほんのわずかの差で死ぬか大けがをしていたかもしれないという経験を仲間の多くはしています。それでも、これ以上沖縄に基地は作らせてはならないとの切実な思いから参加し続けたのです。
 そうまでして抵抗した日々ですが政府の作業は止まりませんでした。圧倒的な力と物量の差で現場において阻止するのはほとんど不可能でした。ただ私たちがしたことは一日でも数時間でも作業を遅らせる、引き延ばす、そうしている間に一人でも多くの人が反対に立ち上がってくれるのを待つことでした。辺野古での基地建設準備作業は終わりました。しかし政府は本格的な工事着工にはまだ手を付けることができないでいます。この数年で確実に沖縄の世論が変わったからです。6月10日に投開票された県議選でも、90%以上の候補者が普天間基地は県外か国外に持っていくべきだと主張しています。
 このように新しい基地などもうご免だ、普天間基地も早く変換してほしいと願っている沖縄に今また新たな問題が持ちこまれました。それは米軍の新型輸送機MV22オスプレイの配備です。開発段階で事故が多発し、最近では4月にモロッコで、6月にはフロリダで墜落したような輸送機が毎日頭上を飛ぶことになるのを私たちは恐れています。


一人ひとりの力を信じて

 私が過ごしてきたわずか5年の間にも、基地を押し付け続ける政府のやりかたに対して「またか」と幻滅し、怒りを覚える出来事が何度も繰り返されてきました。復帰から40年を過ごしてきた沖縄の人たちはこのようなことをきっと何倍も経験してきたのでしょう。変わらない現実の前に心くじけそうにもなりますが、しかしささやかな経験を通して一人一人の力とその存在の意味は決して無ではないことも実感しました。その思いをもってここに立ち続けたいと思います。
  

Posted by 横浜YWCA at 16:15Comments(0)平和

2012年03月27日

インタビュー: 「核」否定の思想に立つ

新教出版社編集部より出版された『原発とキリスト教 わたしたちはこう考える』に執筆された鈴木玲子さんに、「『核』否定の思想に立つ」ということ、また、これからの脱原発社会に向けて、お話を伺いました。

1.「『核』 否定の思想に立つ」について詳しく教えてください。

 日本YWCAは1970年、「『核』否定の思想に立つ」を主題に掲げ、全国運動の中心として、原発反対の運動をはじめました。原発の“平和利用”が声高に唱えられていた頃に、原発の危険性に気づいて反対に取り組んだ団体としては非常に早いと言えます。
 カッコつきの「核」は、核を頂点とした現代文明全体のあり方、具体的には、相手を傷つけることにおかまいなしに、自分がもっと強く、もっと豊かに、もっと便利にという生き方を表しています。すなわち、YWCAの「『核』否定の思想に立つ」とは、単に核兵器や原発に反対するにとどまらず、現代社会の生き方を問い直し、命の大切さに立ち戻ることです。
 70代以降、全国のYWCAでは各地で勉強会が開かれ、それぞれの置かれた場所で、「核」否定に取り組むようになりました。また、核の恐ろしさを学ぶ「ひろしまを考える旅」が71年から現在まで続いています。
 特に福島YWCAでは、原発のおひざもとにありながら、反原発と反天皇制を掲げ、先駆的な活動が長年続けられています。

2.自国で大きな事故を起こしたにも拘らず、原発を輸出する政府の姿勢をどう思いますか?

 これだけ危険なものであるのに、原発が維持されているのは、原発産業が儲かるからです。輸出面でも、他の製造業が韓国や中国に追い上げられ不振なため、原発輸出は国益に欠かせないと財界はみなしています。
 第2次世界大戦のとき、日本はアジアに対し、軍服を着て軍事侵略を行いました。戦後は、スーツを着て経済侵略を行っています。これは戦中と同様、自国の利益のためには、他国を犠牲にしてもいいという差別意識があるからこそ、成り立っています。

3.キリスト者として原発事故をどう感じていますか?

 アジアに対してだけでなく、国内においても、原発は格差、差別の上に成り立っています。原発は産業がない貧しい地域に作られており、その原発の電気で、都市に住む人が快適な生活を送っています。沖縄などへの軍事基地押し付けと同様に、構造的暴力です。
 真理として、キリスト教であろうとなかろうと、自らの豊かさや快適さのために、他人を犠牲にすること、他人の命を危険にさらして、自分の命を守るということは、許されることではありません。



4.人間は高等な知能を持つ生き物であるはずなのに、最終処理方法がわからないものを、なぜ作り続けるのでしょうか?

 2011年7月に、日本政府によるモンゴル国内への核廃棄物処理場の建設の計画が、モンゴル政府に断られた事実が判明しました。核廃棄物の扱いは非常に難しく、人類文明の寿命を超える半減期を持つものもあります。たとえどんなに安全に原発を稼働させても、その核廃棄物は出続けます。
 「知」は、お金と権力によって、くずれてしまいます。高度経済成長期のときに起こった公害では、企業が地元に大きな影響力をもっており、健康被害が明らかになっても、なかなか声をあげられず、人の命よりも企業の利益が優先された歴史があります。
公害は、まだ当時、様々な化学製品が人体にどういう影響を及ぼすかわかっていない時代に起こりました。しかし、放射能の影響は、被爆国としてわかっていることです。確信犯として、原発を作り続け、核廃棄物を作り続けています。



5.これまでの反核運動に足りなかったものは何だと思いますか?

 全国のYWCAで、『核』否定の思想に立ち、運動が進められましたが、その進め方は様々で多岐にわたり、一言では説明できない面がありました。さらに、まだまだ世論では原発擁護派が多数の逆風の中で、運動は非常に困難でした。
 またYWCAの中においては、とても熱心に取り組み、勉強を行ってきましたが、外に向けてのアクションやアピールが弱かったと感じています。



6.脱原発社会に向けて、具体的に呼びかけたい行動は?

 もうじき、日本にある54基の原発のすべてが定期点検に入り、稼働している原発は0基*となります。それらを再稼働させないことがとても大切です。原発がなくても大丈夫であること、原発は必要ではないことをアピールし、決して運転を再開させないことです。
 2011年の3月の計画停電を経験し、そんなに電気を使わなくても大丈夫だということがわかりました。節電のために、契約のアンペアを下げるも有効的です。以前YWCAが作った、電力使用量を記録する「環境家計簿」はとても好評でした。
 また、これからはライフスタイルだけでなく、社会の変革が必要です。代替エネルギーへお金をまわしたり、送電分離を行ったり、これまでとは違うやり方にシフトしていくことです。
 3・11をターニングポイントとして、これからの世界のあり方について、立ち止まって考えるべきときです。あらゆる差別のない、一人ひとりの命を大切にする社会をつくるために。
 まだ間に合います。

*2012年3月1日現在で、稼働中の原発は2基。2012年5月には、残りの2基も定期点検に入り、すべて止まる予定。

インタビュー:2011年12月27日(火)
  
タグ :原発


Posted by 横浜YWCA at 10:56脱原発

2011年12月28日

インタビュー:女性弁護士だからできること

                       
 白石 美奈子 さん(横浜弁護士会)

10月第3週の非暴力週間には、毎年、世界各地のYWCAで、女性への暴力をなくすためにさまざまなプログラムが行われています。
日本でも、結婚したことのある女性の3人に1人が配偶者から何らかの暴力を受けた経験があると、内閣府が2008年に行った調査でわかっています。女性への暴力をなくすために行動する非暴力週間にあたり、弁護士で、横浜YWCAが取り組む暴力を受けた女性のための支援事業「ゆう」のメンバーでもある白石美奈子さんにお話を伺いました。


1. 弁護士として、どのようなお仕事をされているのですか?

ドメスティック・バイオレンス(DV)被害と犯罪被害に関することが多いです。もともと犯罪被害者支援をしたくて弁護士になりました。殺人事件や性犯罪といった犯罪被害者支援をするなかで、DV被害に関わることも大きな意味での犯罪被害者支援だと思うようになり、関わるようになりました。
横浜YWCAでは、暴力を受けた女性のための支援事業「ゆう」で、離婚講座と弁護士相談をしています。

2. なぜ離婚講座を?

何となく離婚を考えていても、どうやって進めるのか、何を決めておかなくてはいけないのか、ご存じない方が多いんですね。本を読んでもわからないことが多い。離婚するのかしないのか、自分のことを決める材料として、そういう知識を持っているのと持っていないのとでは、精神的な強さが全然違います。ですから、必要最低限の情報をお知らせしたいと思っています。

3. 他の離婚講座との違いは?

他のところの離婚講座と、お話ししている内容は同じだと思います。違うのは、講座の後に講座で話をした弁護士に相談ができるというところです。離婚は人生の一大事です。その離婚を決めようという時に、初めて会った人に依頼するというのは不安です。でも「ゆう」の離婚講座では、講座を聞いて、この弁護士はこういう考えなんだなとか、こういう人なんだなということがわかって、その上でその弁護士に相談したり依頼したりできるんです。
DVのことに触れる時間も多いですね。参加者の質問などを見ていると、身体的暴力があったり、身体的でないにしても精神的な暴力を受けている方も多いです。ですから、DVのことは少し詳しくお話ししています。DVじゃないと思っていたけれども、講座を聞いて、自分はDVを受けていると気づきました、と相談に来られる方もいます。
参加者が女性限定で、皆さん自分の離婚の相談をしたくて来ている方々なので、話す弁護士としても女性の側に立って自由に話せるということがあるかもしれません。男性もいる講座だと言えないこともありますから。
参加者も5人から10人と、こじんまりした規模なのもいいと思っています。これが30人とか50人とかだと、委縮してしまう方もいますから。

4. これからどうして行きたいと思っていますか?

DVに関していえば、もう少しDVを担当できる女性の弁護士を増やしていかないといけないと思っています。暴力を受けた女性なので、やはり女性に相談したいという人が圧倒的に多いんです。けれども女性の弁護士でDVをやる人はまだまだ少ない。危険だというイメージがあるということもありますし、実際危険ですから。
性暴力被害に関していえば、ワンストップセンターをつくりたいなと思っています。
ワンストップセンターというのは、性暴力被害に遭った方が、とにかくそこに電話をすれば今後どうしたらいいかという多方面からのいろいろなアドバイスを受けられる、そういう窓口のことです。その番号に電話をすれば、刑事手続きの説明を受けられて、場合によっては警察につなげることもできる、カウンセリングも受けられる、緊急避妊薬を処方してくれる信頼できる病院も紹介してもらえる、いつも味方になって動いてくれる支援者や代理人として動いてくれる弁護士も紹介してもらえる。窓口を一本化したいということです。
被害に遭った方は、被害直後やはり混乱しています。まず、どうしたらいいのか、わかりません。どうしていいかわからないまま時間が経ってしまって余計に言い出しにくくなるんです。ですからとにかく被害直後の混乱している時に、ここに電話すれば、ほんの少しでも安心できる、そういうものが必要だと思っています。
それに、やはり二次被害*に皆さんあちこちで遭っています。病院でイヤなことを言われた、警察でも傷つけられた、弁護士にもイヤなこと言われた、そういう話をよく聞きます。ですから、性暴力被害に詳しい専門家が集まっている、そこに連絡をすれば少し安心できますよ、というものをつくりたいんです。

5. YWCAにはどのようなことができると思いますか?

支援者としての役割が担えればいいなと思っています。
それから性暴力被害に遭った方が、ちょっと不安になった時に行ける場所になるといいと思います。被害に遭った方は、やはり男性に対する恐怖がものすごくあります。弁護士も、男性ではなく女性を希望される場合が圧倒的に多いんです。ですからYWCAが、女性の団体であるというだけで、被害に遭った方はとても安心できるのではないかと思います。
長い間フォローアップを続けられるというのもいいと思います。今、県で行っているカウンセリングは10回までは無料ですが、それ以降は自分でカウンセラーを探してください、という状態です。10回のカウンセリングではとても回復しないですし、継続的な支援が必要な方は多いですから、長く続けられる支援は必要だと思います。

*二次被害:犯人・加害者からではなく、被害者が被害の後に周囲からのさまざまな言動によって、さらに傷つけられる状態をさす。(内閣府、『レイプの二次被害を防ぐために』より)
インタビュー 2011年8月12日(金)
  


Posted by 横浜YWCA at 11:43女性への暴力

2011年10月08日

第55回国連女性の地位委員会(CSW55)参加報告

第55回国連女性の地位委員会(CSW55)に横浜YWCAの会員が参加しました。
参加報告はこちら→http://www.ywca.or.jp/archives/1102news.html
  


Posted by 横浜YWCA at 13:57その他

2011年10月07日

”かなマグ.net”で「花花カフェ」の店長が紹介されました

障害者の職場定着を支援するボランティア「かなジョブエール」1期生の北野明美さんに聞く
http://kanamag.net/archives/17790
  

Posted by 横浜YWCA at 13:18障害者就労支援

2011年10月06日

講演会報告:あなたのせいじゃない

                                        
 清水 祐子

横浜YWCA「ゆう」は2010年6月5日(土)、「男女共同参画センター横浜」と共催で「性暴力被害/知ろう・わかろう・わかちあおう」と題する二部構成の講演会を開催した。一部はレイプ被害者であり性暴力や幼児虐待防止に奔走する米国在住の写真家・大藪順子さんの講演会。二部は医療機関、警察、弁護士、カウンセラーが各分野の立場から、性犯罪被害者が社会支援体制の不備により、さらなる被害(二次被害)に遭うことがないよう、性犯罪被害に特化した警察・医療・支援者の連携システム(ワン・ストップ・センター)の重要性と構想についての提言がなされた。具体例として、ニューヨーク州、韓国、スイスのワン・ストップ・センターが紹介された。
大藪順子さんは1999年、自宅で就寝中に侵入者によりレイプ被害に遭った。コロンビア大学を卒業後、新聞社に就職。服装はコンサバ(流行と関係ない地味な服装)、治安のよい地区に住み、犯罪に遭わないように自分なりに注意を払っていた。そんな彼女が自宅でレイプされた。パニック状態の彼女に、病院に駆けつけた支援者の「今夜起きた事はあなたのせいじゃないのよ」の一言が回復の大きな助けになったという。しかし性暴力の特徴は、被害者が自分の落ち度を探し、自分を汚れた存在に思い、自尊心を失い、自虐的な感覚に苦しむことにある。レイプは人格を破壊し、心を殺す。大藪さんも例外ではなく、心許せる支援者と早期に出会えたものの「うつ状態」が続いたという。2001年、同じように傷つき、生きていく人たちの姿を伝えたいと「STAND」(性暴力サバイバー達の素顔)を立ち上げ、男女70人を撮影、取材した。大藪さんは「被害者であることは一生変わらない。しかし被害者が一生不幸なわけではない」と自信に満ちた力強い声で話す。すべての被害者が声を上げられるわけではないが、社会が被害者の声を聞く姿勢をもち、被害者の体験や言葉に基づいた支援体制の整備が必要であると講演を締めくくった。
  


Posted by 横浜YWCA at 14:24Comments(0)女性への暴力

2011年10月06日

沖縄へ旅をして ~在日米軍基地問題 ~

横浜YWCA運営委員 沖田 忠子

鳩山政権が発足して5ヶ月半。このところ普天間基地の移設問題が大きく報道されている。米国は2014年までに普天間基地を辺野古へ移設することと海兵隊8,000人をグアムへ移転することはパッケージであるとし、自民党政権下の合意の履行を要求している。しかし、日米合意は自治体や住民の意思を無視したものであり、日米の司令部の併存、基地の共同使用、相互運用などの軍事一体化により、日本が米軍の世界戦略に組み込まれることになる。鳩山首相は日米合意を無条件に履行は出来ないとして、ゼロベースで5月末までに結論を出すと明言した。
私は日本基督教団神奈川教区の基地・自衛隊問題小委員会の委員を務めている。2月初めに、平和の実現を願い米軍基地の撤去を求める牧師・信徒16名で沖縄へ旅をした。旅の名称は「米軍再編撤回に取り組む旅」。普天間基地は住宅密集地にあり、住民は日常的に騒音被害や墜落の危険にさらされている。2004年に米軍ヘリが墜落した沖縄国際大学には、今でもその痕跡があった。日本の土地面積の0.6%に過ぎない沖縄に、全米軍基地の75%があることは知っていたが、このたび車で回って改めて基地の多さとその面積の広さに驚くと共に、「こんな異常な県はほかにない」と思った。
1月の名護市長選で、辺野古への移設に反対する稲嶺氏が当選した。選挙結果は名護市民の民意の表れである。基地建設によって、美しい海の生態系を破壊してはいけないと強く思わされた。辺野古で座り込みを続けている人々の、体を張った根気強い闘いを見聞きし、彼らの苦悩と怒りがストレートに伝わってきた。「自分たちは日米両国を動かす問題に関わっている。絶対に辺野古に基地を作らせない。 政府が沖縄と米国のどちらを優先するか目を光らせて見ている」という言葉が心に焼きついた。
昨年は島津藩による琉球侵略から400年、明治政府による琉球処分から130年に当たる節目の年だった。先の戦争で沖縄は本土の「捨て石」にされ、戦後は「太平洋の要石」になった。戦後、本土は憲法9条に守られてきたが、沖縄は朝鮮戦争、ベトナム戦争、湾岸戦争、イラク戦争と、基地を通じて戦争に加担させられてきた。また、米軍機の騒音、訓練に伴う事故、性暴力や殺人等、沖縄県民の米軍被害は後を絶たない。沖縄は歴史的・社会的・構造的差別を受け続けている。沖縄に行くたびに、本土が沖縄に強いてきた犠牲の大きさを肌で感じ、心が痛む。
神奈川は沖縄に次ぐ第2の基地県である。横須賀海軍施設に海軍司令部、キャンプ座間に陸軍司令部があり、有事の際は海軍・陸軍の司令基地になる。私たちの足もとでも米軍再編による基地機能の強化が着々と進んでいる。キャンプ座間では第1軍団前方司令部の移駐、陸上自衛隊の中央即応集団司令部の配備、相模総合補給廠では米軍と陸上自衛隊が共同訓練を行う戦闘指揮訓練センターの建設、横須賀では原子力空母ジョージ・ワシントンの母港化、厚木基地では空母艦載機の訓練による騒音増加等、住民に被害と不安を与えている。昨秋、対米重視の松沢県知事はワシントンで「普天間の県外・国外への移設は不可能だと思うし、辺野古しか解決策は見出せない」と発言したが、基地県の知事として、沖縄への配慮がなさすぎると思った。
米軍基地は本当に必要なのだろうか? 日本が移転費用と基地建設費用を負担してまで「日米同盟」関係を維持しなければならないのだろうか? 2006年に普天間基地の辺野古移設に合意したのはブッシュ氏と小泉氏である。昨年、米国ではオバマ大統領が誕生し、多国間協調へと転換を行っている。日本でも政権交代が実現した。「核なき世界」を訴えるオバマ大統領と、命を守ることを願い「常時駐留なき安保」を持論とする鳩山首相。今年は日米安保条約が改定されて50周年である。朝日新聞で「安保体制を支えてきた構造を見直さない限り、基地問題の解決はない」という記事を読んだ。今こそ米軍再編や在日米軍基地のあり方を見直し、緊密で対等な日米関係を築く絶好のチャンスだと思う。米国追従に終止符を打ち、本当の意味で日本が独立国になることを願っている。
  


Posted by 横浜YWCA at 14:08Comments(0)平和

2011年07月25日

済州島に行って来ました

徳田知恵

今年3月の終わり頃、スタディツアーに参加し韓国の済州(チェジュ)島を初めて訪れた。飛行機に乗ったと思ったらすぐ着いてしまう済州島は、世界自然遺産に登録されているとても美しい島だ。東洋のハワイとも言われ、韓流ドラマのロケ地としても有名らしい。
スタディツアーなので、観光地にはあまり行かなかったが、それでも島が美しいのはよくわかった。緑生い茂るなだらかな丘が遠くまで連なっており、あちらこちらに黄色い菜の花が咲き乱れ、島の強い風に揺れていた。
そんな風景の中に、ふと気づくと、ぷっくりと地面が盛り上がっている小さな丘のようなものがいくつか目に入る。正面に向かうと、実はコンクリートで作られた丘で、中はがらんどう。これは実は日本軍の飛行機をしまっていた格納庫。また、日本でも流行った韓流ドラマ『宮廷女官チャングムの誓い』の1シーンが撮影されたという海岸の洞窟も、実は日本軍の人間魚雷の格納庫だったということだ。
第二次世界大戦中、本土防衛の要として7万人の日本兵が送り込まれた済州島には、ほかにも飛行場の管制塔跡や秘密基地の洞窟など、知らなければ簡単に見落としてしまう戦跡が、あちらこちらに残っている。

日本軍の戦跡以外にも、この島には知らなければ簡単に通り過ぎてしまう事実がある。済州島は虐殺が行われた地だ。日本の植民地支配から解放された後、朝鮮戦争勃発前の1948年4月3日、朝鮮半島の分断に反対する島民が警察署を襲撃し、それをきっかけに軍や警察による激しい弾圧が始まった。島民の抵抗運動を理由に米軍政は「アカの島」とレッテルを貼り、朝鮮本土から軍・警察・右翼青年団などの「討伐隊」を招き入れた。彼らによる島民の無差別虐殺は朝鮮戦争の終結まで続き、3万人近くが犠牲となったが、この事件は長い間ずっとタブーとされ、公の場で語られることはなかった。

この事件を研究している4.3(ヨンサン)研究所の隣に作られている4.3事件のメモリアル公園に、土が1㎡ほどこんもり盛り上げられた場所があった。これは、まさにこの場所で殺された子どものお墓だそうだ。その子どものおじいさんが武装隊に参加していたため、遺体を埋葬しようとすれば、自分が「アカ」の仲間とみなされてしまう。そう人々が恐れ、しばらくそのまま放置されたそうだ。ほかにも、家族・親戚が全員殺されてしまい埋葬してくれる者が誰もおらず、そのまま放置された状態であった子どものお墓が―お墓といっても遺体の上に土をかぶせ、そのぐるりを石で囲っただけものだが―公園内に6、7カ所あった。
4.3研究所の所長によると、「事件の解明のためにこれまでたくさんのサバイバーの方々にお話を聞いたが、女性の性暴力被害の話は、話すのをためらうほどひどいものだった」という。
4.3事件は盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領が2003年にやっと国の責任を認めたばかりだが、李明博(イ・ミョンバク)大統領に代わってから、4.3事件犠牲者の認定審査は滞っているという。済州の人々の悲しみや痛み、恨の声がすくい上げられるのはいつの日だろう。(2010年7月号より)
  
タグ :済州島戦跡


Posted by 横浜YWCA at 22:15平和